1868年 ジェイムズ・ド・ロートシルト男爵、第一級格付け(1855年)シャトー・ラフィットを購入
1868年8月8日、ジェイムズ・ド・ロートシルト男爵(英語名:ロスチャイルド)はイニャス=ジョセフ・ヴィンテーンベルグの遺産として競売にかけられていたシャトー・ラフィットを購入しました(これ以前の史実については、「シャトー ラフィット・ロートシルトの歴史」のページを参照)。購入わずか3ヵ月後にジェイムズ男爵が亡くなり、ラフィットは3人の息子、アルフォンス、ギュスターブ、エドモンドの共同所有となりました。ラフィットには当時74ヘクタールの葡萄畑がありました。
1870年 メドック地区の「黄金時代」には最高のヴィンテージ
まるで繁栄を謳歌する時代の雰囲気が土壌に注ぎ込まれたかのように、1868年からの10年間、特に1869年、1870年、1875年そして1878年は類まれなるヴィンテージとなりました。1855年のヴィンテージで幕開けしたメドック地区の「黄金時代」が、シャトー・ラフィットの購入から15年間続いたことは、アルフォンス、ギュスターブ、エドモンド男爵にとって幸運なことでした。
1900年 激動の時代に傑出したヴィンテージ誕生
1800年代後期から1900年初頭にかけては激動の時代でした。葡萄畑がフィロキセラ(葡萄の根の寄生虫)とカビが原因のうどん粉病、ベド病の被害にあったのです。それに加え、産地を偽る組織的詐欺が主要ヴィンテージに被害を与え、さらに、第一次世界大戦の勃発、世界大恐慌の発生、そして第二次世界大戦でフランスが占領されたことも状況の悪化に拍車をかけました。この暗黒の時代で例外的なのは、1899年、1900年、そして1926年と1929年のヴィンテージです。この年に造られたワインはどれも最高品質となりました。ロートシルト家のエドゥアール、ロバート、ジェームズ、モーリス男爵がシャトー・ラフィットを引き継いだのは、まさにこの時期でした。
1946年 ロートシルト家、シャトー・ラフィットの再生をエリー・ド・ロートシルト男爵に委託
ロートシルト家の新世代、ギイ、アラン、エリーそしてエドモンド男爵がシャトー・ラフィットを相続しました。世紀の変わり目から数十年にわたった困難な時代そして第二次世界大戦の痛ましい時期を切り抜けた後、エリー男爵にシャトーの再生が任されました。1947年と1949年のヴィンテージは、再生をかけた困難な作業の中での一筋の光となりましたが、ボルドーの葡萄畑は1956年2月、霜害に再び見舞われました。それでもなお、再生への努力は続けられました。その結果、1959年と1961年素晴らしいヴィンテージに恵まれ、新しい時代への幕開けとなったのです。
1962年 ポイヤック地区第四級格付け(1855年)シャトー デュアール=ミロンを購入
カステジャ家が1世紀以上にわたり所有していたシャトー デュアール=ミロンは、後継者問題のため、葡萄畑の区分けや、ワインの品質低下を招いていました。ロートシルト家が購入した時点で、葡萄畑の面積はわずか17ヘクタール。昔の栄光を取り戻すため、数々の取り組みがなされました。葡萄樹の全面的な植え替えや畑の改良を実施、ポイヤックに新しい醸造所や醗酵槽を設置しました。
1974年 エリック・ド・ロートシルト男爵、ドメーヌ・バロン・ド・ロートシルト(ラフィット)を継承
エリー男爵の甥、エリック男爵がラフィットの経営を引き継ぎ、今日にいたるまで、ラフィットを優れたエステートにする努力を続けてきました。エリック男爵は、優れたドメーヌやシャトーを改良することで、ドメーヌ・バロン・ド・ロートシルト(以下DBR)のノウハウを新しい所有地に提供してきました。こうした改良の結果、1975年、1976年そして1982年など、いくつかの素晴らしいヴィンテージを迎えることができました。エリック男爵は、デービッド、エドゥアール、ロバート、ナサニエルそしてベンジャミン男爵とともにシャトー・ラフィットを継承した、ロートシルト家の5代目の一人です。
1984年 ソーテルヌ地区の第一級格付け(1855年)シャトー・リューセックとアントル=ドゥー=メール地区のシャトー パラディ・カスイユを購入
2世紀にわたる幾度の所有者変更を通じさまざまな運命に見舞われてきたシャトー・リューセックは、DBRが経営権を握るやいなや、ソーテルヌ地区のヴィンテージリストの上位に位置づけられるようになりました。潜在性を高めるため、全レベルのセレクションに対し、非常に厳しい措置がとられました。ワインの樽育成期間を長くするために建設された新しいセラーは、1989年のヴィンテージから今日まで使用されています。
1985年 シャトー ラフィット・ロートシルトの写真、写真家に委託
エリック男爵は1985年、ラフィットと才能溢れる写真家(ジャック=アンリ・ラルティーグ、アーヴィング・ペン、ロベール・ドワノー、リチャード・アヴェドン他)のアート・コラボレーションをスタートさせました。その年に選ばれた写真家1名は思い思いに自らの写真作品でニューイヤーズカードを製作します。1975年から1985年に関しては年をさかのぼってカード・コレクションが構成され、これまで30名以上のアーティストが作品を発表しています。質の高い写真コレクションを作り上げていく上で、エリック・ド・ロートシルトは映像のプロである元『Publicis』ディレクター、ダニエル・ヴィニャにアドバイスを求めました。「もちろんシャトー・ラフィットのワインに広告はいっさい必要ありません。神々の霊薬にはこれ以上の注釈は無用ですから。それでも、きらびやかなそのイメージとの芸術的コラボレーションは非常に魅力溢れるプロジェクトです。それらが「恐竜的存在」の写真家や若き写真家らを採用して20年以上前から作り上げてきた作品で、現在も夢中にばって進めている製作事業なのです!」
1987年 シャトー ラフィット・ロートシルトに新しいセラーが完成
カタロニア人建築家、リカルド・ボフィルの監督のもとに建築された新しい円形の地下セラーは、丸天井を16本の柱で支えており、壮大で風通しの良い建物となっています。このセラーには2200個の樽が保管されています。完成まで2年の歳月を要し、1万立法メートルの土の移動が必要でした。「セラー2000」は樽内での2年目のワインの熟成に使われています。建物の中央部では、テイスティング会や夕食会が催されることもあります。このセラーは、従来の直線的な造りから脱した世界初の構造となっており、高い評価を得ていることから、作業も非常に機能に進められるこのセラーを使用した新しいプロジェクトが数多く生まれています。
1988年 チリのヴィーニャ・ロス・ヴァスコスを買収
チリのエシュニック・エイサギーレ家からヴィーニャ・ロス・ヴァスコス(1736年頃設立)を購入したことで、DBRはワインメーキングの新境地を切り開きました。上質のワインを造るため、植え替えは徐々に実施すること、セラーを近代化すること、そして品質管理に細心の注意を払うこと、というDBRの信条の一環として葡萄畑の改良がなされました。最適な気候条件と、計り知れない潜在力を秘めた土壌を生かし、チリに模範的なエステートを作ることを目指しました。
1990年 シャトー・レヴァンジル(ポムロール地区)を購入
デュカス家が1世紀にわたり所有していたシャトー・レヴァンジルは、シャトー・ペトリュスとシャトー シュヴァル・ブランの間という絶好の場所にあります。 DBRは最高級のワインを育て、セカンドワインのブラゾン・ド・レヴァンジルを造りました。シャトー再生プロジェクトと葡萄畑のリニューアル作業が1998年に始まり、現在も進行中です。2002年の貯蔵庫と醸造所の改修工事終了により、このシャトー内の再配置が完了しました。
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1993年 ボルドー(オー・メドック地区ブルジョワ格付)のワイン、シャトー ペイル=ルバードの販売
エドモンド男爵がシャトー・クラークと同時期に購入したシャトー ベイル=ルバードは、メドック地区リストラック村の中心部に位置しています。ベイル=ルバードは、何世紀も前からあった葡萄樹が、葡萄畑の改良と設備の近代化により再生したことから、DBRの信条である永続化と改良の先駆けとなりました。エドモンド男爵の息子であるベンジャミン男爵は、1997年以来、同様の方法で葡萄畑の運営に携わっています。
1995年 コレクション・ボルドーの開発
DBRは「男爵のレゼルヴ」の精神を分かち合うために、伝統を尊重する精神に則りシャトーワインに近いスタイルで様々なアペラシオンのジェネリック・ワインを顧客や友人に提案することを決定しました。このプロジェクトにより、ポイヤック、メドック及びボルドーのレゼルブシリーズが生まれました。DBRのチームは2000年以降、同様の考えに基づき『レジャンド』や『サガ』と名づけられたスペシャルキュヴェが開発されました。いずれもDBRの品質管理、選別手法及び育成技術に関する長年の伝統に基づいています。
1998年 アルゼンチン、メンドーサのボデガス・カロプロジェクト
DBRは高品質のアルゼンチンワインの草分けであるカテナ家と提携し、ボデガス・カロプロジェクトを立ち上げました。そして、マルベックとカベルネ・ソーヴィニヨンという2つの象徴的な品種を見事にブレンドしたワインを造りました。カテナ家及び同地方の最高の葡萄畑で栽培された葡萄果を選別することによりワインが醸造され、最初のワインはDBRが2002年末(ヴィンテージ2000)から販売しています。このシリーズは『カロ』と『アマンカヤ』という2種類のワインで構成されています。
1999年 ラングドック地方コルビエール地区のドメーヌ・ド・オーシエール
DBRはナルボンヌ地区で最も美しく最も古いドメーヌのひとつであるドメーヌ・ド・オーシエールを再生するプロジェクトを実現しました。ナルボンヌ市にあるこの600ヘクタールのエステートは、4年間放置されていました。160ヘクタールの葡萄樹は1年に約40ヘクタールのペースで、大多数コルビエール地区の伝統的な品種であるシラー、ムールヴェードル及びグルナッシュにより植え替えられました。また、完全に改造されたセラーが2003年以来オーシエールの葡萄畑の中央で使用され、DBRはオーシエール産第1号ワインを2005年(ヴィンテージ2003)に発売しました。
2000年 伝説的で将来有望なヴィンテージ、今後10年に期待
DBRのセラーで現在熟成中のヴィンテージが良質であることから、21世紀を平穏に迎えることができたといえるでしょう。中でも、1990年、1995年、1996年、2000年産のもの、そしてその他の年に造られたもののいくつかは、有名なヴィンテージとなるでしょう。
2003年 旱魃、酷暑、早熟により特徴づけられる例外的なヴィンテージ!
ボルドー地方では、2003年の最初の8ヶ月間の降雨量は最近30年間の平均値を約67%も下回るものでした。ピークで40°Cを超える気温は、記録的な旱魃年として歴史に残る1893年よりもなお一層高いものでした。葡萄の摘み取りは8月25日にシャトー・リューセックで、9月1日にシャトー・レヴァンジルで、5日にシャトー デュアール=ミロンで、8日にシャトー ラフィット・ロートシルトで、極甘口ワインは17日以降に開始しました。9月中素晴らしい好天に恵まれた後に、摘み取りは10月1日に終わりました。2003年度の摘み取りは歴史に残るでしょう!この例外的なヴィンテージのワインの特徴は豊穣さと奥深さと非常にまろやかなタンニン分のある粘り強さにあります。
2004年 シャトー・レヴァンジル新セラー竣工
区画セレクション醸造により的確に対応するため、醸造蔵および樽貯蔵庫が全改築されました。各栽培区画の収穫葡萄は、醗酵後の仕上がりを確認して初めてグラン・ヴァンへの採用を決定できるよう、それぞれ少量のロットに分けて醸造する設備が整いました。醗酵後、ワインはオーク樽に詰められ地下貯蔵庫で18ヶ月育成されます。設備デザインにも気を配り、外装は目を引くカラーに、内装は逆に非常に落ち着いた色を採用することで、円形セラーにはくつろげる空間スタイルが作り出されています。
2005年 格別な品質のヴィンテージ
ヨーロッパは3年連続で旱魃に襲われましたが、気温はほぼ温和でしたので、葡萄果の成熟はゆっくり静かに非常に完璧に進行しました。その結果、葡萄果の品質は最も厳しい葡萄栽培家でも満足するものであり、生産量は少ないものの、アルコール度は高く、完璧な健康状態でした。
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